怒り予告法

今日は怒り予告法というのを思い付いたのでやってみました。

**

朝、長男(3歳)を保育園に9時までに連れて行くはずが、9時半近くになってもまだ食パンをちびちび食べている…、そもそも朝食を食べる気になるまでに30分、パンを食卓に出してから食べ始めるまでに15分くらいかかっており、その後30分かけても、たった1枚の食パンがまだ食べ終わらない、いったいどういう了見でそんなにのんびりパンを食べているのか、45分も食パンを食べ終わらない人を相手にしていたら、そりゃあ途中で次男(6ヶ月)の機嫌も悪くなるというもの、泣き出した次男を抱っこしたら、突如長男が、次男を抱くなパンを食べさせろと怒り出した…、でも先日の昼寝によって体力を取り戻したわたしにはまだまだ気持ちに余裕がある、大丈夫、なんとか長男をなだめ、パンが食べ終わるのを待ちながら次男におっぱいをあげることにする、ところが眩しそうにする次男のためにカーテンを少し締めて授乳をしていると、何故か長男がカーテンを締めちゃいかんとまた怒り出した、さっきから怒り狂ってばかりで食パンは全く食べ進んでいない…、たまらず「もう、残したら…?」と声をかけると、「ご馳走さまでした」と言いながらまだ食べるんだとまたまた怒り出した、わかった、食べるんなら食べたらいい、だけど、もうすぐ母ちゃんはすごい怒りそうだぞ!これ以上刺激すると、やばいぞ!と、やばくなる前に予告する、これが怒り予告法です。

今朝は気持ちに余裕があったのでほぼ全くイライラしませんでした。
しかし保育園には40分の遅刻です。
無職のわたしだから良いものの、ワーキングマザーだったらやばいですよね?

昼寝

昼寝をすると元気が出る。

**

勉強ができる人が「睡眠不足の状態で寝ずに勉強しても効率が悪い。ちゃんと寝て勉強した方が身になる」と言うとすごく説得力がありますよね。

わたしは最近ものすごく疲れていて動けないくらいの日が何日かあったのですが、疲れて死にそうだから次男(6ヶ月)が昼寝をしているうちに家事を終わらせたい…!と切実に思っても、毎日次男が全然昼寝をしない、離れると見つかってとにかく泣かれる、という風で、結局全然家事が捗らない、疲れているから早く寝てしまい夜家事はできない、疲れているから早起きもできない、そのうえ早く寝てるのに全然疲れが取れない、良いことがない、という感じだったのですが、一昨日昼寝をしたら信じられないくらい元気になりました。

そして、わたしがそばで昼寝をすると次男も一緒に昼寝をする、ということを忘れていたけど思い出しました。
何回か半覚醒しても、隣にわたしがいると再び寝るのです。

つまり、疲れているわたしは昼寝をした方がいい、ということですね。

昼寝というとダラダラしているようで罪悪感を感じてしまうかもしれないので、冒頭にあげた頭の良い人も何か同じようなことを言っている、というのを参考にさせてもらい昼寝を正当化します。
わたしの昼寝は、ひいては家事の効率化につながっているのです。

決意表明

真面目で素直で大抵のことをすぐに信じてしまうタイプのわたしは、今日ひょんなことから気合い注入の達人であるアニマル浜口先生についてGoogleで調べようとしたところ、予測ワードに「アニマル浜口 死亡」と出てきて、驚きのあまり友人に「あの世からアニマル浜口先生に気合いを入れてもらう」などと、勝手に死んだ設定でメッセージを送ってしまいました。

しかし、わたしは信じやすいと同時に用心深くもあるので、あれ?本当にそんなニュースあったかな…?と一抹の不安を覚え、念のため再検索した結果、すぐにご存命であることを突き止めました。

詐欺の常套手段の1つに、相手に考える時間を与えない、というのを聞いたことがあります。

人間は素直が一番…、そう思って生きてきたし、これからもそう思い続けたい…、でも、世知辛いこの世の中には、ずるい人や悪い人もいるので、騙されて不幸になるのもちょっと困る、そこでわたしは"もっと勉強して色々な知識を取り入れたい…、ついでに人生を生きやすくしたい…"と思うようになりました。

わたしが色々悩んでたどり着いた結論なんかは、だいたい頭のいい先人たちが発表しており、なんかノウハウをまとめた本とかも色々あるらしいので、それならいま悩んでることは先人に教えてもらおうじゃないの、ということで、子育てに役立ちそうなハウツー本を読んで勉強して当てはめてみる、というやつをやってみようと思います。

さっき思いついたので、ちゃんと実行するためにブログで宣言してみました。
向上心のあるわたしって、素敵やん…?

座ってみたのが運のつき

疲れている…。
次男(6ヶ月)が抱っこでしか昼寝をしない、おろすと3分と寝ない、それなのに夜も5回くらい起きる、起きてる間は顔が見えないと泣く、忘れていた記憶が蘇るような蘇らないような、鬱々とした日々が続いている。

身体が重い、動けない、どれだけ振り絞っても、おんぶで家事をやる気力が出ない。
やっぱり疲れているな…。そうしみじみ感じた。

しかし時間は無情にも刻一刻と過ぎていく。

とにかく子供たちをお風呂に入れなくては…。
バンボに座らせた次男の機嫌が、もうそう長くは持ちそうにない。
わたしはお風呂の湯はりボタンを押し、長男(3歳)と共に急いで晩ごはんをかきこんだ。

着替えを用意し、今にも泣き出しそうな次男をバンボから抱き上げると、いつもとは違う、わずかな異変を感じた。
目線をおろすと、次男とわたしの服が背もれウンコにまみれて黄色く染まっている。

戦いの火蓋が切られた。
さあ、本当の勝負のはじまりだ!

餃子がすべて奪い去っていった

今日は、ツイッターで子供のお手伝いの話を見て思い出したことを書きたいと思います。

*

その日わたしは白菜の消費を兼ね、餃子を作ることにしました。
以前、ビニール袋を手にはめて餃子の餡を混ぜさせてあげたらたいそう喜んだので、今日もそんな感じでいいか、と軽く考えて長男に声をかけたのです。

ところが3歳児、2回目ともなると、前回と同じことだけさせたのでは満足しません。
「餃子の皮を渡してあげる」と言い出しました。

"えっ… 大丈夫かな…。心配だな…。でもここで手伝いの芽を摘んでしまい、今後の人生に悪影響を及ぼしても困る…。"

頭の中の電卓を叩いた結果、まずは軽く流そうと試みるも、絶対にやる気で譲らない雰囲気、苦渋の決断を迫られたわたしは、もしかしたら上手くできるかもしれないしね!と淡い期待を抱きつつお願いすることにしました。

長男は嬉しそうに次から次へと皮を渡してくれます。
しかしこちらはしがない主婦、そんなに次々と皮を渡されても包む方が追いつきません。
だんだんと餃子の皮に乾燥した部分を感じるようになりました。

「ちょ、ちょっと!皮が乾くと包めなくなっちゃうから、母ちゃんがちょうだいって言ったら渡してくれるかな?」

焦る気持ちを抑えながら、やさしく言い聞かせます。
なんとか理解してくれたのか、渡すペースを落としてくれました。
しかし、皮を渡す合間が手持ちぶさたになったのか、今度は打ち粉のついた手でそこら中をベタベタ触りだしました。

「あ…!汚れた手で触ると粉がついちゃうよ。」

ワーワー言われて長男が混乱し始めました。
粉のついた手であちこち触るのを我慢すれば皮をいじって乾燥させ、皮を触るのを我慢すればそこら中を粉だらけにする、という、どちらもありがたくない状況が発生しました。
わたしは自分がどんどん冷静さを欠いていくのを感じました。

"と、とにかく早く全部包むしかない…!!"

もはや2人の間に笑顔など存在しない時間が流れ出しました。

*

さて、こんなに苦労して手作りした餃子は、さぞかし美味しいに違いない、そう期待して食卓についたわたしを嘲笑うかのように、餃子は失敗でした。
白菜の芯が多かったせいか、味が薄くて、野菜と肉の調和も何もない、それぞれの素材がそれぞれのやさしい味を主張しまくる、そんな失敗餃子が大量にできあがってしまい、わたしの疲労感はいっそう濃くなるばかりでした。

しばらく何もしたくないな……。
あれからもう何週間も、わたしは料理にやる気を出せないでいます。
あの餃子が、わたしからすべてを奪い去っていったのではないか…? 今はただ、そう思いたいのでした。

うらめしや

今朝も長男(3歳)は、夫が会社でもらってきたグループ会社員向けの広報誌を熱心に読んでは、ぶつぶつと独り言をつぶやいている。

ライフやワークについて多角的なアドバイスが書かれたその広報誌には、毎回懸賞がついているのだが、新年一発目は賞品のラインナップが豪華だ。今年はテレビや自転車に混ざって、長男が狙うプラレールが載っていた。

ところで、3歳の子供に"抽選で当たる懸賞"というものの概念を説明するのが難しい。
説明の中から自分に都合の良いところだけ切り取ってしまうので、何度訂正しても、いつの間にか自分が当たる方向で話が修正されており、「弟(次男)が大きくなったら貸してあげれるよ。えらいでしょ?」等と当たった後の妄想を口にしたり、インターホンが鳴るたびに「もしかしてプラレールが届いたんじゃない?」と玄関まで荷物を出迎える日が、かれこれ2週間以上続いている。

一度抽選に当たると次はないという噂、応募するなら賞品が豪華になる新年号しかない、わたしは去年から一年間ずっとこの時を待ち続けていた。

本当は40型テレビに応募したかったのに…。

"小さい子供"というだけで争わずして応募賞品を選ぶことができた長男を、どこかうらめしい気持ちで見つめた。

もうずいぶんと手強い長男(3歳)が、これ以上高みを目指すつもり…?あなたのゴールはどこへあるのですか…?というレベルで、日増しにどんどんパワーアップしており、わたしの短気にもいっそう拍車がかかっておる、どう思う?どうしたらいいと思う?ねえねえどこまでいくと思う??と執拗に夫に迫ったら、深く考え込んだ後、「本当に毎日大変だと思ってる…。いつもありがとう。でも、もう頼れるのは時間しかない。時間が解決してくれるのを待つしかない、と思う…。」と至極まっとうなことを言われ、なるほど、時間に勝る薬はなし、子育てにも確かに当てはまる気がする…、とうなずくわたしをよそに、長男がさっきから「鮭ちょうだい!しゃーけ!あの青いやつ!しゃーけ!!」と怒り狂っている。

わたしはつとめて冷静に、何度も同じ答えを繰り返した。
「いま家に鮭はないよ。」
しかし、そんな台詞は彼の耳には届いていない。怒り狂って鮭をくれと叫ぶばかりだ。
よく見ると、目線が上の方を見ている。

そういえば、食器棚の上に香典返しでもらった未開封のふりかけの詰め合わせが置いてある。青っぽい袋のものがないことはない。
「青いやつって、もしかしてふりかけのこと?」
わたしがイライラしながら言うと、そばにいた夫がふりかけを手にとった。
長男は怒りながら「そーれ!」と言った。

わたしは思わず「違うし!それ鮭じゃないし!」と大きな声で嫌味を言った。
すると、夫がゆっくり振り返り、何も言わずただそっと、手に持った物をこちらに見せてきた。
その青い袋には、はっきりと「さけ」と書いてあった。

なぜ両親も知らない鮭ふりかけの存在を、字も読めない3歳児が知っているのだ。
完全なる敗北だった。

わたしはふて腐れながら、しぶしぶ謝った。