餃子がすべて奪い去っていった

今日は、ツイッターで子供のお手伝いの話を見て思い出したことを書きたいと思います。

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その日わたしは白菜の消費を兼ね、餃子を作ることにしました。
以前、ビニール袋を手にはめて餃子の餡を混ぜさせてあげたらたいそう喜んだので、今日もそんな感じでいいか、と軽く考えて長男に声をかけたのです。

ところが3歳児、2回目ともなると、前回と同じことだけさせたのでは満足しません。
「餃子の皮を渡してあげる」と言い出しました。

"えっ… 大丈夫かな…。心配だな…。でもここで手伝いの芽を摘んでしまい、今後の人生に悪影響を及ぼしても困る…。"

頭の中の電卓を叩いた結果、まずは軽く流そうと試みるも、絶対にやる気で譲らない雰囲気、苦渋の決断を迫られたわたしは、もしかしたら上手くできるかもしれないしね!と淡い期待を抱きつつお願いすることにしました。

長男は嬉しそうに次から次へと皮を渡してくれます。
しかしこちらはしがない主婦、そんなに次々と皮を渡されても包む方が追いつきません。
だんだんと餃子の皮に乾燥した部分を感じるようになりました。

「ちょ、ちょっと!皮が乾くと包めなくなっちゃうから、母ちゃんがちょうだいって言ったら渡してくれるかな?」

焦る気持ちを抑えながら、やさしく言い聞かせます。
なんとか理解してくれたのか、渡すペースを落としてくれました。
しかし、皮を渡す合間が手持ちぶさたになったのか、今度は打ち粉のついた手でそこら中をベタベタ触りだしました。

「あ…!汚れた手で触ると粉がついちゃうよ。」

ワーワー言われて長男が混乱し始めました。
粉のついた手であちこち触るのを我慢すれば皮をいじって乾燥させ、皮を触るのを我慢すればそこら中を粉だらけにする、という、どちらもありがたくない状況が発生しました。
わたしは自分がどんどん冷静さを欠いていくのを感じました。

"と、とにかく早く全部包むしかない…!!"

もはや2人の間に笑顔など存在しない時間が流れ出しました。

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さて、こんなに苦労して手作りした餃子は、さぞかし美味しいに違いない、そう期待して食卓についたわたしを嘲笑うかのように、餃子は失敗でした。
白菜の芯が多かったせいか、味が薄くて、野菜と肉の調和も何もない、それぞれの素材がそれぞれのやさしい味を主張しまくる、そんな失敗餃子が大量にできあがってしまい、わたしの疲労感はいっそう濃くなるばかりでした。

しばらく何もしたくないな……。
あれからもう何週間も、わたしは料理にやる気を出せないでいます。
あの餃子が、わたしからすべてを奪い去っていったのではないか…? 今はただ、そう思いたいのでした。